どうもかいさるです
今回は、たまたま目にとまった、SNSで賛否をよんでいる
コンビニで店員に商品を投げ、客やぞと、おちょくる若い客を映した動画
所得の低そうな人ほど、牛丼チェーン店で店員に「ごちそうさま」という、(本来不必要なレベルの)礼儀正しさを備えてるように思える
という投稿を見て、小売業経験者として考えていた「違和感」みたいなものを思い出したので書こうと思います
ちなみに、私は基本どこの飲食店でもコンビニ・スーパーでも「ごちそうさま」「ありがとう」と言うタイプですが、言わない時もあります
この「言う、言わない」に対しては、良い悪いや優劣をつける話ではないと思うし、所得云々に関係するなんかは意味不明な個人の思い込みで、どうでもいい話だと思っています
あくまでかいさるが社会でのお店側と客側の立場について思う事で、ちょっとタイトルからズレてる感じになるかもですが、スイマセン
少なくなったけど、傲慢な態度の客
少なくなったけど傲慢な客がいます
なぜかというと人それぞれ見えている景色が違うからだと思います
そして、見えてる景色が違うのは、見る目を育ててきた環境が違うからです
これに年齢は関係ありません
職業柄、相当な数のお客、取引先、従業員と関わってきました
- 親からの教え、親の立ち振る舞い
- つきあってきた友人の考え方
- 今まで携わってきた仕事の職種、立場、同僚
- 自分の経験から、それを学んで整理し身につけていく能力の差
など、さまざまな要因で見えている景色が違ってるんだと思います
具体的には
- 過去に見てきた親世代の立ち振る舞いを、そのまま受け継いでいる
- サービス業・小売業経験者で、自分が教育された一昔前のマニュアルをそのまま従業員に求める
- 歌の一部分「お客様は神様です」を真に受けて、言葉通りそのまま解釈している
- 資本主義社会の競争の中で、企業が付加価値として取り組んできたマニュアルの「お客様本位」によって、自分が偉いと間違えて捉えている
こんな感じが多いのではと思います
店員も客も対等
日本人には、この感覚が乏しいと思います
店側は生産者から商品を仕入れ加工し店頭で販売します
それまでに、その商品には生産に掛かる材料費・人件費・物流費が掛かっており、仕入値には一連の費用が掛かっています
さらに店を運営するには仕入れ・光熱費・地代・人件費・税金など掛かります
そして、商品の代価としてお金を受け取ります
少ない利益でお店を運営していく努力をします
客側は、その生産・加工・運んできてもらった商品を好きな量だけ買い、商品の代価としてお金を支払います
しかも、店を選ぶことも自由です
どこに傲慢になれる要素があるのかわからないです
こんな時代です、私は地元から色々なのお店が無くなってほしくないので、なるべく近場で買い物やサービスを使うようにしています
無くなられると私が困るので・・・
負けてくれている
商売で使う「まけてくれ」という言葉、最近はあまり聞かなくなりました
若い頃、値切る時に客のおっちゃんやおばちゃんによく言われました
「そんだら、これだけまけとくわ」みたいに返してました
ちょっとしたサービスで商品を多めに渡す時も「これ、おまけでつけとくよ」なんていうやり取りしてましたね
この「まける」ですが「負ける」って書くて知ってました?
もちろん、値段や商品の物理的なこともそうなんですが、昔は客と店員のコミュニケーションの一環として
立場的に店側は「負けてあげる」、客側は「負けてもらう」という関係を利用してたんじゃないかなと思います
スムーズに気持ちよく物事をすすめるためです
もちろん双方がコミュニケーションと理解した上でです
個人店が少なくなって、買い物のコミュニケーションを取る機会が無くなり
ただの「客が上、店員が下」の部分だけが残って、それを引きずっている人達がいるじゃないかなと思います
店側も客側も人間です
お互いを尊重する気持ち、感謝する気持ちを忘れずに気持ちよく振舞いたいですよね
特に店側の方は最初から負けてくれてるんだから、客側の私としてはちょっとした感謝の気持ちを持って買い物に行こうと思います
ありがとうございました
コメント